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シアワセ ユキの小部屋

     ~ 岡村孝子さんと共に、今までも、これからも ♡ ♡ ♡ ~

お盆は シアワセ ユキ『あの頃ミュージック』

お盆ということで、今に続くあの時期~青春の出来事や、
それにまつわる想い出の音楽を整理してみました。

  青春時代、少し遅めにやって来ました(^_^)v
夢中になれるものが何なのか、漠然としてた。
今もその片鱗があるのですが、当時はかなりのネクラでしたね。
でもこれらに出逢い、夢中になれた事が、
今の精神構造の礎になっている事は確かです。





  AMラジオが全盛の頃、今では信じられないくらい夢中になっていた。
関西の深夜番組では、毎日放送の『ヤンタン』と朝日放送の『ヤンリク』が人気でした。
その頃の流行り歌を最後まで掛けてくれた『ヤンリク派』だった僕は、
明け方3時までの5時間、勉強をしながらも時にはコックリしながら毎晩聴き入っていた。
特に2時過ぎのコーナー、SLの汽笛とともに始まる『心の旅 遠くへ行きたい』に嵌まっていた。
『ポエム』の募集に一度だけ採用され、その時頂いた『ヤンリク手帳』は、
今はセピア色に変わってしまっています。
この頃は実名でハガキを書いて採用されるまでの何ともウキウキ、ドキドキした気持ちは、
メールに変わった今も、変わりませんね。
また採用された感動は、今も変わりませんね。


 ABC ヤングリクエスト







  20歳を過ぎた頃、まだ自動車免許は持っていなかった。もっぱら自転車か電車で通勤していた。
そのうちの自転車が趣味になり、まだ見ぬ世界への憧れの手段と化した。
淡路島一周、四国一周。能登半島にも行きましたね。
そして無謀にも北海道一周という夢も実現させようとしていた。
今思えば無謀である、6段変則の普通の自転車。でも若気の至りか。
6月の或る日、瀬戸内のある街から兵庫県を北上し、舞鶴からフェリーで北海道小樽へ。
オロフレ峠のあの登りは今も忘れない。
今と違ってどこの道路もアスファルトなんて珍しかった。
雨の中、襟裳岬から帯広へ。
そこから釧路方面へ向えば良いのに、無謀にも北上し然別湖から北見方面へ抜けようとした。
その事がその後の僕に大きく人生の舵を切るきっかけになった、宿や人々との出逢いが待っていた。
あまりにも衝撃的な、それでいて『自然体の生活』がそこにはありました。
その宿が数年後なくなりましたが、気持ちは10年くらい引きずっていました。
当時北海道のユースホステルの夕食後のミーティングで歌ってた、数々の歌の一部です。


 旅の終り





 北国の想い出





 岩尾別旅情








  ラジオ関西がまだ神戸の西の端、須磨浦にあった頃に『ギャルギャル神戸』があった。
当時谷山浩子さんと隔週で担当していた西島三重子さんの詩の世界観に憧れた。
孝子さんのライブが東京で有った時に『池上線』や『千登勢橋』などを訪問した。
池上線の電車が、古い電車じゃなくて、ガッカリした。

 千登勢橋







  影響を受けたのは谷山浩子さんや、中山恵美子さんだけでは無い。
フォークソングに夢中になった頃もある。
チェリッシュ、NSP、風 などど。結局代表曲数曲しか夢中になれなかった。
当然天地真理、山口百恵、桜田淳子などの方々には、全く興味がわかなかった。

 だからわたしは北国へ





 八十八夜



 

 22歳の別れ




 小さな日記





 僕にまかせてください





 秋止符








  北海道から生還してからしばらく『小椋佳』のアルバムを買い続けていた。
自分の為に書いたモノだ、なんて勘違いしていた。
誰しも通る同じ人生なのに。

 木戸をあけて~家出する少年がその母親に捧げる歌





 六月の雨





 少しは私に愛を下さい





 しおさいの詩








  1989年10月 読売テレビの『知ってるつもり』のエンディング『愛がほしい』で孝子さんと出逢う。


 愛がほしい






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