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シアワセ ユキの小部屋

     ~ 岡村孝子さんと共に、今までも、これからも ♡ ♡ ♡ ~

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岡村孝子 あの頃ミュージック155回目西日本放送2018.9.10


  まさかの採用です。ありがとうございます。

出していた事も忘れていたメールです。


リアルタイムで聴いていて、番組も最後のコーナーにさしかかる。

ああ、今回は採用されなかったな。まあ当たり前だよね、孝子さん。

と思っていたら、名前読まれてしまいました(^^)/~~~






 
  まち音が始まってハコとの旅を楽しみながら、歌を皆さんにお届けしています。
今週は色んな秋の話をしていきます。どうかあきずに最後まで聴いて下さいね。


     テーマ 秋と言えば!?


 秋ってとっても大好きな季節。
ちょっとさぼってるけど、今創作してる。
メロディーを先に創ってレコーディングをして、音の部分では佳境に入った。
あと数曲で曲が出そろったら、詞の方に入って行こうと思っている。
秋が好きという事で、結構秋を連想させる曲入っています。
 三部作シリーズ「秋の日の夕暮れ」「夏の日の午後」「クリスマスの夜」
夏に始まった恋でどうしても続編を書きたくなって、
夏の日の午後に始まった出会いが進んで行って、
時間が経ってお互いを見つめ直すそんな感じの「秋の日の夕暮れ」。
相手の瞳の中にというか、相手の後ろにもう1人誰かが居るようなそんな気がする。
『私崖っぷちのラブソング書くのが大好きって』昔よく言ってた。
ラブソングを書くとどうしてもそういうシチュエーションが思い浮かんできて、
その恋愛が終わってしまって、振り返りながらクリスマスの日に夜空を見上げながら、
その恋を振り返るという「クリスマスの夜」という曲を書いた。
もうちょっと長い時間が経って、もう1度その先の話を書いてみたいなという事で、
その恋愛が始まるちょっと前の学生時代まで遡って、
自分がその恋をするという気持ちが芽生えた学生時代の淡い恋を「春色のメロディー」で書いてみた。
またまた長い時間が経って、番外編でちょっと狂おしいラブソングを書きたい気持ちが今芽生えている。
このアルバムに入るか、次回のアルバムになるかはちょっとわからない。

 


 私この収録の前日、昨日の夜なぜか夢を見た。
この収録をしているスタジオ、私が喋ってるまん前に赤いカーテンが閉まってる。
このカーテンを開けると実は隣の建物が見えるけど、
夢の中でカーテンがしていない窓が目の前にあって、その夢の中では森の中でお話をしている。
緑の木々を目の前にログハウスみたいな所で、喋っている夢をみた。
昨日その夢の事をディレクターに話したら、
『ありがとうございます。そんなに収録を楽しみにしていてくれて』という事を言われた。
あっ私楽しみにしているんだって、初めて気付いた。
いやいやきっと心の中で、すっごい楽しみになっているんだと思います。



 
  孝子さん、 いつも楽しい放送ありがとうございました。いや違うか 、過去形にしちゃった。
いつも楽しい放送ありがとうございます。
特に149回目のウナギ屋さんの話、思わず吹き出してしまいました。
以前の『ハンガー事件』より、傑作ですね。
お茶目な高校生時代の孝子さんを知ることが出来ました。
ちなみにウナギは 、生き物として扱う場合は⇒『匹』、
食材として扱う場合は⇒『本』『尾』、
開いて『蒲焼き』や『白焼き』にしたものは⇒『枚』『串』と数えるそうですよ、孝子さん。 

(鰻屋さんって、どの状態の鰻の商売されてたのですか?) この部分が割愛されていました。 


     


 ということでありがとうございます。
普通のメールをいただいたんですけども、「教えたい」みたいな内容になっていますけども、
もうもう今ではウナギ屋さんやってないんですけどもね。
一応その『匹』って数えたり『本』って数えたり『枚』とか『串』とか数える事は、
私も一応知ってはいたんですけども、

すごい電話がかかってきて『いつもの1ダースお願いします』って自信満々に言われると、
たぶん間違い電話だったんですけども、
あぁそうなんだ、ウナギってダースで数えるんだって思ってしまったんですけど、
いやいやもう本当に『ハイ、わかりました』って言ってしまったんで、
その後その電話を受けたダースと数えるお店の方どうしちゃったのかなぁって。
すごい、そっちの方がね『電話したでしょ』って怒られたんじゃないかなぁって、
『娘さんが取りましたよ』って言われたんじゃないかなって、ちょっとね心配しましたけども、
いやもう本当に相手がすごい自信をもってこう言い切られると、
あっ人間って『あっハイ』って言ってしまうんだなということを思いましたけども。
え~ハンガー事件、ハンガーを背負って駐車場に車を止めてから、
この「あの頃ミュージック」のスタジオまでテクテクと歩いて来たんですけども、
冬のコートのベルトの部分にね、ハンガーを挟んだまま私歩いて来たんですけど、
すごくここへ来るまでの間、何人ものサラリーマンの方とかOLさん、
女性の方も5~6人すれ違ったんですけども、
女性の方もおやっ?ていう顔はして見たんですけど、全然普通にそのまま前を向いて、
私はあっ一応音楽の仕事してるんで、あっ岡村孝子さんだって気付いたって思ったんですけど、
たぶんあの親はハンガー手で持って来るの面倒くさいから後ろに挟んだんだなって、
後であの親だったのかな、とか思ったんですけど、
世間って冷たいな、何で教えてくれなかったのかなって思いました。
皆さんベルトは確認して歩いてくださいね。
ということでシアワセ  ユキさんありがとうございます。



 秋からも岡村孝子並びにこの番組そしてスタッフひっくるめて、要らない?よろしくお願いい致します。

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     本日架かった曲

    ♬ 勇気 ♬
    ♬ と・も・に ♬
    ♬ 秋の日の夕暮れ ♬
    ♬ 一期一会 ♬
    ♬ 涙のしずく ♬
    




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岡村孝子 あの頃ミュージック154回目西日本放送2018.9.3




  最近すぐにPCのマイクロEdgeダウンしたり、フリーズする。
20時前にフリーズしてしまい、その内に録音ソフトまでダウン。
結局番組が聴けだしたのは、半分終わっていた。
幸いタイムフリーで時間を気にせずに、ゆっくりと聴けた。









    テーマ Dear friend


 直訳すると親愛なる友達。
この番組を聴いて頂いてる私のDear friend リスナーの皆さんの心が休息できるような内容でお送りします。

 私にとっての親愛なる学生時代の友達と言えば、ずっと続いているあみんの相方のハコ。
それから音楽仲間で言えば平松愛理さん。
保育園の時からの自分の中では親友かなって思ってた友達と、気づいたらいつの頃か交流が断絶してた。
学生時代の普通に付き合ってる友達の一人だと思ってたら、
父が亡くなった時に葬儀の写真アルバムを見返していたら、
ここに座ってるのがその時の友達だと思って、またお付き合いが始まったという友達もいた。
昨日偶然20何年来お付き合いをしている友人と食事した。
その友達はこの世界に入ってからステージスタッフで、その一瞬居てくれた人なんです。
心が置けない友達って言うんだそうですね、すごく大事な友達の事を。
普通心が置けるって言うのかと思ったら、気が置けないって言うのかなびっくりした。

 旦那さんが親友っていうのはいけないですか。
親友とも喚べる存在のままままいけたら一番良いな。   
そういう人がどこかに落ちていないかな。
女性で71%異性の親友が居る。
私も本当にそう呼べる人欲しいな、と思ってしまった。
何かあった時に飛んで行けなくても、心の中で『元気かな、大丈夫かな』と思える方が居ると良いな。
思ってくれる方が良いなと、切に思いました。

何か淋しいコメントで終わってしまいます。



 私のいとこはたくさん居て、母方の方には十何人居る。  
父方の方にも十何人居る。   
父の冠婚葬祭の時こんなに居るのねって思った。
いつも連絡を取っているのは母方の方に多い。  
同い年の女性の従姉妹とは、電話やメールで連絡をとっている。
従姉妹の娘さんが東日本大震災の時に会社から寮に帰れなくて、会った事もなかったけれど、誘った。   
お互いに『何とかちゃんの娘さんですか』  『孝ちゃんですか?』 
その時初めて顔を合わせたけれど交流が続いている。
   
 私も本当に結婚はもう別に良いかなと思ったりするけれど、
色んな事を戦友みたいにクリアしたり、美味しいものを美味しいねとか、
この景色綺麗だね、何か良いねって、この音楽良いねみたいな事を感じていけるパートナー、
戦友はやっぱり必要だな。
居ると良いかなと思ったりもする。
娘に『どこかでママにも見つけてあげなきゃなね』って上から言われてしまって、
『あなたはどうなの』って思った。
今から急いで見つけたとしても20年過ごしていけるか。
ちょっと時間が限られてくるので、あっ急がなくっちゃとかって思ってるところなんです。
本当に親友、戦友みたいに過ごせるパートナーが居ると良いなと、心から思ってる。

 動物園も水族館も好き。
子供の頃岡﨑公園の中にある動物園に、父か母に連れて行って貰った。
10円で動く乗り物が樹だった。
水族館は身近に有って、娘が好きでよく行った。


 いつまでも私の友達でいてくださいね。お願いします。お友達いないんであんまり。


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  ♬ 天晴れな青空 ♬
  ♬ Dear friend ♬
  ♬ と・も・に ♬
  ♬ 運命なら ♬
  ♬ 風は海から ♬
  




岡村孝子 あの頃ミュージック153回目西日本放送2018.8.27 

 孝子さん、大~好き 

まさかの8月のこんな時期に採用とは、驚きです。

まち音に行かれない事への、せめてもの孝子さんからの夏の贈物ですね(^^)/~~~










  夏の後半戦の怒涛のレコーディングを休みして、そろそろまち音の個人リハーサルに入りる。
私は今日も東京タワーの風景が無理をすれば見える、いや見えないスタジオからお送りします。

     
      テーマ 街の風景


 このスタジオは東京タワーの近くにある。
収録をした帰りに東京タワーを写真に撮って、インスタグラムにその風景がアップしてある。
愛知県から23歳の時に東京に来て、もう東京にいる時間の方が長い。
やっぱり東京タワーってすごい存在、名前の響きにすごい憧れがあって、
この収録が終わって帰る時に東京タワーに、『今日もお仕事頑張ったよ』って話しかけてしまう。
何度見ても飽きない。昼も素敵だけど、夜ライトアップされてる東京タワーも綺麗だな。
岡崎の実家の周りは市街化調整区域で、建物を建ててはいけない区域。
小さい頃から育っている風景と今も何ら変わりがなく、田圃とビニールハウスに囲まれてる。
ちょうど(調整区域)のその端っこに家があるので、1つ違うのが学生時代は横の道が舗装してなくて土だった。
今は舗装されている。そこが唯一変わった風景で、
そこにはシロツメグサやレンゲソウ、オオバコって言う草と草とで友達とお相撲を取っていた。
今年はお墓に手を合わせようかと里帰りしたが、ぱっと行ってぱっと帰ってきてしまったので、
風景を楽しむ時間もなかったけれど、やっぱり田舎に帰るとホッとする。
こういうのどかな景色が私のモノを創る感性を育ててくれたのかな、とても感謝している。
ずっと私の中では大切なふるさと、もし私にふるさとがなくなってしまったとしても、
自分の心の中でその風景は残っていくのでは? と思っている。
今住んでる場所は8回目か9回目の引っ越しで住んでいる。
都心に近いのにのどかな風景もまだ残っていて、夕方とか早朝5時ぐらいに歩くと、
運が良ければゴイサギとかに出会ったりする場所です。
そろそろちょっと違う風景を見ながら曲を書きたいな、という気持ちがむくむくと沸いて来ている。
 次はどんな風景を求めて引っ越そうかなぁと今考えているところです。




 便利なものがなかったんで、色々とまどろっこしい恋愛の手順があった。
でもそういうまどろっこしい時間とか1つの恋愛のプロセスが思い出になって、
良い時代だったのかもしれない。
だから色んな歌が生まれたのかもしれないな、なんて事を思ったりする。
私も予備校時代、良いなと思った方が竹本孝之さん似でした。

  

 今回のテーマ『街の風景』に投稿します。
我が町は、国宝で世界遺産でもある姫路城が街の中心にそびえています。
生まれて数回ぐらいしか登った事がありません。
案外地元の人間ってそうかも知れませんね。
僕が生まれ育ったところは田園風景に何十年も変化の無い、街の西部です。
それでも最近は、田園風景が徐々に宅地化されつつあります。
孝子さんご実家付近と少し違うのは、車で10分程度走れば、
瀬戸内の島々が見える海岸や、夕陽の綺麗な海岸があります。
以前この番組を聴いていたのも、この場所です。
長年田園風景に囲まれて生活しているせいか、
お城の見える風景よりも、今いる場所に愛着を感じています。
人間関係も田舎故に煩わしいのですが、どこで生活しても似たような苦労は有りますね。
孝子さんに逢えない時間、夕方になればカメラ片手に夕陽を追い掛けるのも良いかな? と思っています。

 ということでシアワセ ユキさんありがとうございます。
世界遺産の姫路城、白鷺城と呼ばれるお城ですよね。
1度宝くじまちの音楽会で姫路お邪魔しましたかね。
もしかするとソロでも何回か行かせて頂いているのかも知れないですけど、
あまりにも昔で行ってない? 記憶が無いんですけども。
バンドのドラムの高垣薫さんが無類のお城好きで、必ずコンサートで行った先のお城朝散歩して見るか、
コンサートが終わって泊まった次の日の朝散歩して、
お城の近くまで行ったりお城に登ったりされていますね。
高垣さんだったらもう全国のどこのお城も登られてるんじゃないかな?って思いますけども、
私もそうですねもう1年2年ぐらいしたら、
コンサートが終わった次の日早朝散歩しようかなぁって思ってるんですけどね。
まだちょっと若さ故に(^_^)v 朝は寝ていたいっていうね気持ちが勝ってしまうんですけども、
でもやっぱりこういう仕事をしていて、せっかく色んな所にお邪魔する事ができるんで、
お城もなんですけども、その町の市って言うんですか? 朝市、省略しちゃぁいけませんね、
色んな所の朝市に行って美味しいお魚だったり、
美味しい野菜というのを買って帰って来ようかな、なんて事を最近思い始めましたので、
色んな所にコンサートにお邪魔したいなと思っているところです。
シアワセ ユキさんね、ずっと変わらず田園風景に囲まれて住まれていて、
10分ほど車で走るとあの例のいつも雑音に紛れながら、私の番組を聴いてくださってたという海岸ですね。
良い風景に囲まれて、今も五右衛門風呂でしたっけ? もう変わりましたっけ?
昔ながらの風景と環境大切になさってくださいね。
ということでありがとうございます。



 いつまでも変わらない風景も大事にしたいですよね。


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    ♬ 夏が終わってく ♬
    ♬ と・も・に ♬
    ♬ ホームタウン ♬
    ♬ ありがとう ♬
    ♬ オリジナルな二人 ♬
    






岡村孝子 あの頃ミュージック152回目西日本放送2018.8.20


  今年は長い旅はできなかったけど、家族一緒に楽しい時間をたくさん過ごせた。


     テーマ さよならしたいことは?


 『さよなら』という言葉で思いつくのは、やっぱりオフコースの「さよなら」
今までに200曲ぐらい曲を書いているけれど、ほぼ、ほぼのほぼほぼの曲がさよならに近い。
今後プライベートでさよならしてみたい事は、
こう見えてなのか見るからになのかちょっとわからないけど、私意外と人見知りなんです。
初対面の方と全然話ができない、これでも。
ソロデビューしたばっかりの頃に、徳永英明さんと雑誌で対談をした時に、
とってもフレンドリーにして頂いたのに、対談の後の一緒の写真はすっごい態度悪い顔していた。
目が何だこれはみたいな。もう本当に人見知りなんです、ごめんなさい。
その頃私がニッコリ出来るのって、3回ぐらい会わないと無理なんです。
今はだいぶマシになって、初対面の方にもニコッとぐらいはできるようになった。
 この夏はアイスクリームとさよならをしようと思ってたけれど、無理でした。
昨日の夜もわざわざ信玄餅アイスクリームを買いに出かけてしまった。
なかなかさよならできないですね、アイスクリーム。


 
 花粉症、その年によって目とか鼻が痒くなってしまう時と、何にも無い年がある。
セイタカアワダチソウに囲まれ暮らしていて、花粉症というものにかからないまま来てしまった。
今後何に反応するか、自分でもちょっと怖い。


 近眼なんで、メガネすると本とかは読めなくなっちゃう。
自分でもなかなか認めたくなくて、何事が起こっているんだろうと心配した事はある。
『老眼だよ』って言われたけど、私はメガネ作らないで手を伸ばして読み続けます。
たぶんさよならできないと思います。
  
 お腹の肉は気合を入れて引っ込めても、ダメですよ。
やっぱり腹筋を毎日するとか歩くとか、継続的にきちんと運動しないと減らないと私も感じている。
私は意外と体脂肪が無いんです。
何だろうと思ったら、内臓脂肪? ではと心配しちゃいました。
毎日歩くか、食べ物で油や甘いモノを減らすしかないみたい。
それ以外に言えない。私が聞きたい。


 今は使えないけど将来使うかもと思って取っておくと、結局何にも整理できない。
私も何十回、断捨離しようって挑戦したかわからない。
今年の夏はもう二度と読まないかなと思う本は、整理していこうか。


 ちょうど今曲を創って、逆さまにしても出てこないぞと思いながら曲を創ってるけれど、
そのアルバムが応援歌になるかどうかちょっとよくわからない。
若い頃感じた事はなかったけども、朝起きて肩が痛いとか腰が痛いとか足を着いたら踵が痛いとか、
今までにはあり得なかった事とか、感じた事が無かった事が起こってる。
今まで想像もしてなかったような事や、色んな事が起こって来るかもしれません。
そんな痛んだ今の私が感じる事、自分の目に映る事をたくさん歌に変えたいなと思ってる。
そんなアルバムが多分皆様にお届けできるのが、春ぐらいか5月ぐらいと思う。



     孝子のココ行ってみ隊

 ちっちゃい頃豊橋から伊勢に行く時、家族でよく乗った。
フェリーに酔わない、家族で景色を眺めながら伊勢に向かうすごく楽しかった思い出がある。
今度三宮から高松に向かうフェリーに乗って、讃岐うどんを食べたいな。


 あっ忘れてましたけど、さよならしたくないのはこの番組だったかもしれません。



     孝子からのお知らせ

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     本日架かった曲

       ♬ Good-Day ♬
       ♬ と・も・に ♬
       ♬ 夏が終わってく ♬  aming
       ♬ Time and again ♬
       ♬ 白い夏 ♬





お盆は シアワセ ユキ『あの頃ミュージック』

お盆ということで、今に続くあの時期~青春の出来事や、
それにまつわる想い出の音楽を整理してみました。

  青春時代、少し遅めにやって来ました(^_^)v
夢中になれるものが何なのか、漠然としてた。
今もその片鱗があるのですが、当時はかなりのネクラでしたね。
でもこれらに出逢い、夢中になれた事が、
今の精神構造の礎になっている事は確かです。





  AMラジオが全盛の頃、今では信じられないくらい夢中になっていた。
関西の深夜番組では、毎日放送の『ヤンタン』と朝日放送の『ヤンリク』が人気でした。
その頃の流行り歌を最後まで掛けてくれた『ヤンリク派』だった僕は、
明け方3時までの5時間、勉強をしながらも時にはコックリしながら毎晩聴き入っていた。
特に2時過ぎのコーナー、SLの汽笛とともに始まる『心の旅 遠くへ行きたい』に嵌まっていた。
『ポエム』の募集に一度だけ採用され、その時頂いた『ヤンリク手帳』は、
今はセピア色に変わってしまっています。
この頃は実名でハガキを書いて採用されるまでの何ともウキウキ、ドキドキした気持ちは、
メールに変わった今も、変わりませんね。
また採用された感動は、今も変わりませんね。


 ABC ヤングリクエスト







  20歳を過ぎた頃、まだ自動車免許は持っていなかった。もっぱら自転車か電車で通勤していた。
そのうちの自転車が趣味になり、まだ見ぬ世界への憧れの手段と化した。
淡路島一周、四国一周。能登半島にも行きましたね。
そして無謀にも北海道一周という夢も実現させようとしていた。
今思えば無謀である、6段変則の普通の自転車。でも若気の至りか。
6月の或る日、瀬戸内のある街から兵庫県を北上し、舞鶴からフェリーで北海道小樽へ。
オロフレ峠のあの登りは今も忘れない。
今と違ってどこの道路もアスファルトなんて珍しかった。
雨の中、襟裳岬から帯広へ。
そこから釧路方面へ向えば良いのに、無謀にも北上し然別湖から北見方面へ抜けようとした。
その事がその後の僕に大きく人生の舵を切るきっかけになった、宿や人々との出逢いが待っていた。
あまりにも衝撃的な、それでいて『自然体の生活』がそこにはありました。
その宿が数年後なくなりましたが、気持ちは10年くらい引きずっていました。
当時北海道のユースホステルの夕食後のミーティングで歌ってた、数々の歌の一部です。


 旅の終り





 北国の想い出





 岩尾別旅情








  ラジオ関西がまだ神戸の西の端、須磨浦にあった頃に『ギャルギャル神戸』があった。
当時谷山浩子さんと隔週で担当していた西島三重子さんの詩の世界観に憧れた。
孝子さんのライブが東京で有った時に『池上線』や『千登勢橋』などを訪問した。
池上線の電車が、古い電車じゃなくて、ガッカリした。

 千登勢橋







  影響を受けたのは谷山浩子さんや、中山恵美子さんだけでは無い。
フォークソングに夢中になった頃もある。
チェリッシュ、NSP、風 などど。結局代表曲数曲しか夢中になれなかった。
当然天地真理、山口百恵、桜田淳子などの方々には、全く興味がわかなかった。

 だからわたしは北国へ





 八十八夜



 

 22歳の別れ




 小さな日記





 僕にまかせてください





 秋止符








  北海道から生還してからしばらく『小椋佳』のアルバムを買い続けていた。
自分の為に書いたモノだ、なんて勘違いしていた。
誰しも通る同じ人生なのに。

 木戸をあけて~家出する少年がその母親に捧げる歌





 六月の雨





 少しは私に愛を下さい





 しおさいの詩








  1989年10月 読売テレビの『知ってるつもり』のエンディング『愛がほしい』で孝子さんと出逢う。


 愛がほしい